二人暮らし、ささやかに。

先行き不安な、還暦過ぎ夫婦の二人暮らし。

悲哀

晴の日が続いていますが、気持ちはドンヨリしています。

 

認知症で特養ホームに入所していた88歳の姑が、肺炎を起こし入院しました。

姑は、ずっと義妹たちと暮らしていました。

私と姑は不仲と言うわけではありませんが、

私は仕事にかまけ、姑は息子(私の夫)がずっと無職だったので、

私に遠慮があり、あまり行き来がありませんでした。

大柄な人で一時体重は84キロあり、

75歳くらいからは膝の痛みで歩けなくなり車椅子生活でした。

80歳くらいから認知症状が表れ、今では私の夫や義妹も認識できません。

「ロクちゃん、ロクちゃん」と、誰を見ても何を見てもそう呼びます。

「ロクちゃんて誰?」って夫に聞いたら、

姑の一番下の弟で、6歳で亡くなっているそうです。

「ロクちゃん」に強い思い入れがあるのか、

目が覚めている間は、ずっと「ロクちゃん」と言っています。

84キロあった体重は、枯れ枝のように細くなって

恰幅の良かった姑の面影は、もうありません。

 

ベッドで寝ている姑の姿を見ているうちに、

ふ・・と、これは未来の自分の姿なのだと思えてきました。

姑の姿を通し、また自分も還暦を過ぎて老いを感じている今、

人生の悲哀を感じずにはいられません。

姑は40代で夫と長男を亡くしています。

田舎の因習深い本家の嫁として生き抜き、波乱万丈の人生でした。

 

人生は必ず終わる。

力強く生き抜いた人も、頼りなく生きた人も みな終わる。

そこに何の違いがあるだろう。

誰にとっても「死」は一定(いちじょう)である。

 

姑は波乱万丈に生き、楽しかったことも、辛かったことも

全部忘れ去って、幼かった弟のことだけを胸に抱いて終末を迎えようとしている。

私にも、そんな日がきっと来るだろう。

人生の大半のことを忘れ、私は何を胸に抱いて旅立つだろうか。

 

そう思ったら、悩み事に翻弄されている自分が滑稽に見える^^。

どうせ死ぬのだからと、達観して生きるもよし。

どうせ死ぬのならと、今を懸命に生き抜こうとするもよし。

死を見据えて今を生きるのであれば、

どう生きようが正道なのだと思います。